至時は、寛政暦の制作のおため、江戸に移り住んだあたりから、労咳、つまり結核を患っていたようです。時には10日も寝込むこともありましたが、一時は全快近くまで回復していました。 日々の天文方の研究をしながら、忠敬の測量を指導したり、ある時には測量…
奥州街道に向う忠敬たち測量隊の一行は、千住で知合いの見送りを受けました。ここで人足三人、馬二頭を加えます。 千住神社 忠敬も参拝したでしょうか 北へ北へと歩いて自らの歩幅で距離を測ります。そのスピードは一日40キロ、ただ歩くのでなく、測量しては…
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