大坂で「除痘館」が開かれたのが嘉永2年(1849)、その後佐賀藩・福井藩など、開明的な藩主を持つ藩から、種痘苗は関東・東北へも広がっていきました。しかしながら、幕府のお膝元である江戸では、種痘所設立の要望は蘭方医の間で高まっていたものの、なかな…
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