おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

舟を呑む5

元和年間に大阪旧久宝寺町に店舗を出した鴻池新右衛門(新六)ですが、その約5年後の寛永年間には、西に4kmほどのところにある九条村にも拠点を持ち、そこで海運業を始めています。 さて、大坂の「九条」の地名。京都は北から一条から十条まで名称がありま…

舟を呑む4

菱垣廻船の模型など展示がないか、あったら見に行って写真を掲載しようと思ったのですが、結論としては、「見つからなかった」ので、「菱垣廻船」と並んで江戸時代の海上運送の主役となった「樽廻船」の写真を。いずれも「弁才船(べざいせん)」といわれる…

舟を呑む3

酒造業を成功させ、大坂に進出した鴻池新右衛門(新六)。諸説ありますが大坂城下の旧久宝寺町に店舗を開いたと伝わります。現在その跡を示すものは残っていませんが、町内に「銅座公園」が。このあたりに鋳銅や銅の取引を行う「銅座」があった名残でしょう…

舟を呑む2

力士の優勝祝いなど宴会の席で「菰冠」(こもかぶり)と呼ばれる「菰(こも)」を巻いた樽を使います。この樽の蓋の部分を木槌で割って封を開け、桝などで皆で祝杯を挙げる姿は、いかにも日本の祝宴といった感じですね。 「菰」というのは稲わらで作った筵(…

舟を呑む

本題に入る前に、先週から始まったBSプレミアムドラマ「舟を編む」の話を(この項の題名の元です)。2012年に本屋大賞を受賞し、2013年に映画化されました。今回のドラマは原作では脇役だった「岸辺みどり」(映画では黒木華さん演)を主人公に話が進んでい…

あっち行け、そっち行け、鴻池13

日本酒の作り方について8回かけてしまいましたが、始祖にあたる山中幸元の話に戻ります。彼が山陰の戦国大名尼子氏の家臣、山中鹿介(幸盛)の長男であり、尼子氏の滅亡後9歳で大叔父を頼って伊丹に流れてきたことはすでに述べました。 商いで身を立てるにあ…

あっち行け、そっち行け、鴻池12

風邪などのときに「アルコール消毒や」などと冗談をいいながら飲酒するのを見かけます。(私本人も経験者ですが)この効果のほどは期待できないとはいえ、アルコールに消毒効果があるのはコロナ禍を経験してきた私達のよく知るところです。原酒のアルコール…

あっち行け、そっち行け、鴻池11

⑧澱(滓)引き・濾過・火入れ ⑦の「搾り」によって日本酒の部分と「酒粕」の部分に分離されます。酒造りの盛んな阪神間灘地方では、新種の季節になると酒粕も出回ります。45年以上前に亡くなった祖父はトースターで酒粕を焼き、砂糖をふりかけて食べるのが好…

あっち行け、そっち行け、鴻池10

⑦搾り:発酵した醪(もろみ)はどろどろの白い液体の状態で、表面には無数の泡が出ています。これは、発酵によってアルコールができる際に炭酸ガスが発生するからですが、アルコール度数が10数%を超えてくると、盛り上がるような泡が次第に落ち着いて、表面…

あっち行け、そっち行け、鴻池9

⑥仕込み:ここのところの良さげな写真が見つからず、本日西宮にある「白鹿記念酒造博物館」に行ってきました。これまでご紹介してきた資料館等と異なり有料(この博物館と別棟の記念館と共通で500円)なだけあって、映像・音を含めて「これでもか」というく…

あっち行け、そっち行け、鴻池8

話は酒造りの過程の中の一つ、酛(もと)つくりに戻ったところで、高校時代の英語の先生から聞いた話を。(同じく酒どころ兵庫県西宮での話です)丹波篠山の出身の先生で、先生が言うには、丹波篠山の民謡「デカンショ節」の合いの手「デカンショ」なる言葉…

嗚呼、黄昏のとんぼよ何処へ2

日曜は上野方面へ。この時期は合格祈願の学生で参拝の列が続くのに加え、2月8日からスタートした(~3月8日)「梅まつり」が開催中です。梅園の梅は今が見ごろ、境内に続く坂のうち「女坂」の梅は遅はこれから見頃になりそうです。 湯島天神境内 梅が見ごろ …

嗚呼、黄昏のとんぼよ何処へ

鴻池家の話の途中ですが、この三連休、単身赴任先の大坂から東京へ、また大阪へのとんぼ返り。土日は都内で忙しく動き回り、本日は午後大阪に戻ります。 期間限定のイベントなど、この場でご紹介していくことにしました。 土曜日は新橋、パナソニック汐留美…

あっち行け、そっち行け、鴻池7

「酛つくり」の説明の前に、酒造りの行程で使用した写真撮影の場所について解説します。まずは伊丹の酒造りの資料館としての「伊丹ミュージアム」から。 伊丹市内にある「伊丹ミュージアム」はJR伊丹駅、阪急伊丹駅の双方から徒歩圏にあって、美術館や博物館…

あっち行け、そっち行け、鴻池6

生米のでんぷんだと発酵が起こりにくいので、蒸すことで、でんぷんに水と熱を加えてゲル状に変える(アルファ化)そうです。前回の写真のような羽釜だと、何となく米を炊くことを連想しますが、炊いても蒸しても米はアルファ化します。では、なぜ「蒸す」方…

あっち池、そっち池、鴻池5

「諸白」(もろはく)について説明する前に、日本酒がどういう工程で発酵するかを説明していきます。日本酒は御存じの通り、米から作られますが、 ①精米(せいまい):玄米から糠を取り除き白米にします。糠や白米でも表面に近い部分は雑味の原因となるので…

あっち行け、そっち行け、鴻池4

大坂今池の鴻池本宅のあった場所は、現在「大阪美術倶楽部」となっていますが、そのHPで「鴻池家の歴史」が紹介されています。 それによると、 大伯父に養われた山中新六幸元は15才で元服し、その後深く考える所があり両刀を捨て、商いで身をたてようと決心…

あっち行け、そっち行け、鴻池3

伊丹市の市域を地図で見てみると、東西と南北がそれぞれ5kmほど、面積を調べたらまさに25㎢でした。その市域の北西部、JR伊丹駅からは4㎞位離れたところにバス停「鴻池」があります。 まさに地名が「鴻池」 前々回ご紹介した山中幸盛(鹿介)の長男で山中…

あっち行け、そっち行け、鴻池2

JR駅伊丹駅のすぐ西側に石垣があって、階段を上ると礎石や井戸などの遺構があり、史跡公園として整備されています。南北朝から室町時代にかけ「伊丹氏」がこの周辺を統治し、室町時代には細川氏や畠山氏の被官、つまり配下にあったようです。 その後、織田信…

あっち行け、そっち行け、鴻池

ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。よくよく見なおしてみると前回この「ようこその~」のフレーズを使ったのが昨年10月26日、その前が8月20日で、随分と長くテーマを引っ張ってました。どちらのテーマもそんなに長く続くとは思っていなかったのですが…

さまよえる葵 だんだん

「大御所時代」をwikipediaで調べると、その期間は寛政五年(1793)から天保十二年(1841)とあります。松平定信の失脚で始まり、家斉の死でピリオドを打ちました。 家斉の死の2年前から老中首座となっていた水野忠邦(みずの ただくに)は、大御所時代の放…

不修身斉家痴国弊天下

大塩の乱の起きた天保八年(1837)4月に徳川家斉は将軍の座を実子家慶に譲りますが、その後も「大御所」として、その死までの約4年間実権を握り続けました。歴史上「大御所時代」とは、この4年ではなく将軍在位51年と併せた期間を指します。 文化・文政期を…

葵に塩 番外編 平野へGO

前々回「葵に塩3」で、美吉屋の奉公人が平野郷に戻った際に漏らした言葉が大塩の潜伏先判明のきっかけになった、という話をご紹介しました。本日その平野の街歩きをしたので、この機会に平野郷の歴史について少しご紹介します。(大塩の流れで訪れたのではな…

葵に塩4

3月末に大塩親子は焼死したものの、この事件関係者への処分が終わったわけではありません。最終的に1000人以上が取り調べられ、そのうちの800人ほどが処分を受けていますが、それが決定したのは乱から1年半を経た天保9年(1838)8月のことでした。 大塩親子…

葵に塩3

潜伏先が漏れたのは、美吉屋五郎兵衛のところに奉公に来ていた娘が、親の病気で暇をもらい、実家の平野郷に戻ったことでした。平野郷は現在の大阪市の東南部、平野区のあたりですが、この地は当時の大阪城代、土井利位(どい としつら)の領地でした。 利位…

葵に塩2

大塩が潜伏していた美吉屋五郎兵衛は、塩田五郎兵衛といい、大塩の妾「ゆう」の姉の「つね」が五郎兵衛の妻でした。また、大塩家四代の佐兵衛の妻の実家が塩田家ということで、遠縁にあたります。染物屋として大塩家に出入りし、乱の際の「救民」の幟や旗な…

葵に塩

反乱に伴う戦闘の意味では半日で鎮圧されたといえますが、首謀者の大塩親子は40日あまりを大阪近郊で潜伏しており、大坂の東西奉行どころか江戸幕府全体がその存在に振り回されます。 逃げおおせると考えたのか、再び決起を考えたのか、というとそういうこと…

大坂の中心で 痛ぁい!を叫ぶ6

放たれた銃弾は大砲方(砲手)の腰に当たります。東町奉行跡部良弼は、味方を鼓舞しまた周囲に奉行方の勝利を知らしめるため、従者に命じ、敵の大砲方の首をとり、槍の穂先に貫いて先に進ませました。(下の写真は赤穂浪士の行列のときのものですが、この時…

大坂の中心で 痛ぁい!を叫ぶ5

東町奉行跡部良弼は馬上の人となり、馬印となる纏(まとい)と案内役の家臣の後に奉行所側の軍勢が続きます。奉行所を出て西に進みます。大塩勢はというと、平野橋を渡ったあたりに集まっていました。下の地図でいうと「平野町通」を東(右方向)に進み、川…

大坂の中心で 痛ぁい!を叫ぶ4

坂本鉉之助の記録で、彼ら奉行側の動きを時間順に追ってみましょう。辰半時といいますから、大塩決起から約一時間経った頃、月番だった坂本のところに、天満で火の手が上がっている、との報が入ります。その火が大塩の決起によるものだと知らされます。未明…