おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

伊能忠敬を育てた町 佐原4

伊能忠敬記念館に入ると、展示室に入る手前に彼が作成した地図と、人工衛星から撮影された地形図が重ねられ、その誤差の少なさ(小ささ?)に驚かされます。

展示室に入ると、時系列に彼の前半生である伊能家当主としての業績と、日本全国の測量にいたる後半生が並べられています。

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記念館の中は撮影できないので、こちらは旧宅の内部展示です

前半生についてはみなもと太郎さんの漫画「風雲児たち※12巻」(ワイド版)が面白く、かつわかりやすいのでご一読をおすすめします。

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旧宅内に展示された測量器具の複製です

四十代後半くらいから、忠敬は息子に家督を継がせ、隠居の身で第二の人生を考えており、佐原を知行する領主に願い出ていました。しかし、経営者・名主としてもすぐれた彼の隠居を、領主は認めないまま、年月が過ぎていきます。

再度の隠居願いがやっと聞き届けられたのが、寛政六年(1794)、忠敬は49歳の時でした。翌年、暦学の勉強をするため江戸に出て深川黒江町(地下鉄門前仲町西側あたり)に住居を構えます。

ちょうどその頃、これまで使われていた宝暦暦がたびたび日食・月食の予測を外したことから評判が悪くなっていて、江戸幕府のプロジェクトとして改暦の動きが起こっていました。そのため、大阪で評判の高かった天文学者を招聘し、その一人が高橋至時(よしとき)です。

忠敬50歳、31歳の至時に弟子入りを懇願、熱意に圧されて弟子入りを許した瞬間、忠敬の後半生が決まったといっていいでしょう。

 

このくだり、あと少しお付き合いいただきますが、今日はこのあたりで。

ありがとうございました。