おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

地図はどこへ消えた?2

景保も至時と同じく源空寺に父の隣、左側に葬られています。

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景保のお墓 号は玉岡 父至時の左側で眠っています


少し下がって撮影すると、左後ろに大きな碑?が

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石碑の上の方に「為天下先」という字が読めます。

「天下のために先んじる」と読むのでしょうか?この字は、明治から昭和の言論人、徳富蘇峰の筆だそうです。この石碑、裏側にも文字が刻まれています。

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なんか横文字が刻まれているようです。

石碑の後ろに回ると、上の方にはアルファベット、その下には日本語らしきものが・・

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余が此の海路の詳細なる形~ その先がよく読めない・・・

あとで調べてみたところ、ここに書かれた文字の全文は、「余が此の海路の詳細なる形圖と多少水路学的観察を報ずるを得たるは、吾等に同行せる日本人の好意と下関の余の友人の援助、殊に余の忘れ得ざる援助者たる幕府天文方、高橋作左衛門に感謝せざるを得ず。シーボルト 小澤敏夫譯」

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シーボルトの文字が

高橋家の当主は代々作左衛門を名乗っていたので、この文章は、シーボルトが景時に感謝を示した一文であることをあらわしています。そう、彼が巻き込まれたのは、文政11年(1828年)に起こった「シーボルト事件」でした。

この話、あと少し続きます。