太田道灌は江戸城以外にも河越城(川越)、岩槻城(この二つはいずれも埼玉県)や御殿山城(品川区の御殿山近辺)、筑土城(新宿区筑土八幡近辺)を築いたとされます。
築城の名人というだけでなく、源平以来の「一騎打ち」の戦法から、身軽な装備な歩兵が騎馬の武将を取り囲んで集団で倒す、「足軽軍法」を活用し、戦術面でも歴史を転換させました。
赤羽にあった稲付城も、太田道灌の築城といわれます。現在は静勝寺(じょうそうじ)という曹洞宗の寺院となり、太田氏の菩提寺となっています。
城自体は後北条氏のものとなり、家康が後北条氏滅亡後江戸に入った際、廃城になったとされています。
静勝寺には本堂と辨天堂、観音堂の他に、道灌を祀る「道灌堂」があり、道灌の命日である毎月26日には、木像が開帳されます。
月一度見ることのできる像ですが、いつも日にちを忘れてしまい、いまだに拝見したことがありません。
次回はおなじ赤羽にある赤羽八幡神社と、道灌の業績と悲劇の最期をご紹介します。