おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

大事の前の城址4

企業ドラマ的にいうと、
社長の山内と扇谷専務は牽制し合いながらも、親会社関東足利商事の圧力を乗り越えた上杉物産。社長と専務の反目は強まっていくばかり。
その中で、社長子飼いの長尾取締役は、自らの待遇への不満から中堅社員を味方につけ、社長に反旗を翻します。社内は大混乱に巻き込まれますが、扇谷の部下、太田部長の八面六臂の活躍で長尾を追放、なんとかかんとか危機を乗り切ったのでした。←今ここ

社内で存在感を増す太田部長を、扇谷専務は目障りに思い、疎んじ始めます。そこに付け込んだのが山内社長。「太田部長は扇谷専務を追い落とそうとしている」と噂を流し、両者を反目させようと手を打ちます。
専務はむざむざそれに引っかかってしまいました。自宅に歓待し、風呂で寛ぐよう勧めます。

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神田川にかかる「面影橋」北詰にある「山吹の里」の碑

ここからは企業物を離れ、歴史物の書きぶりに戻ります。
風呂を上がろうとする道灌に、扇谷定正の家来が斬りかかり、丸腰ではどうにもならず、道灌は暗殺されてしまうのでした。1486年のことです。この時道灌が発した言葉が「当方滅亡」。

この暗殺で、扇谷上杉(定正)側の有力な国人・地侍達の多くが、山内上杉方につき、扇谷上杉家は危機に陥ります。山内・扇谷の両上杉家は激しい抗争を続け、そこに北条早雲が進出、最後には扇谷上杉家は滅亡。山内上杉家も関東から追い出され越後に逃げていくことになるのでした。「当方滅亡」は自らが支えた扇谷上杉家の衰退を予言したものですが、世の中の移り変わりはそれ以上に激しいものだったといえます。

 

やっと赤羽八幡神社の話に進めます┐(´д`)┌ヤレヤレ

平安時代直前の784年に、坂上田村麻呂がこの地に陣を張った際に勧請されたのが起源だそうです。太田道灌もこの社の再興に力を尽くしています。

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赤羽八幡神社

昭和46年(1971)に東北・上越新幹線が建設が決まった際に、神社の敷地を通らざるを得なくなり、最終的には社務所の真下をトンネルが通ることになりました。

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八幡神社への入口 看板の真上には線路の高架が

そのため、境内から東北・上越新幹線埼京線などを見下ろせるロケーションの神社として有名になっています。

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私のスマホでもこれくらいの写真が撮影できました

次回は豊島氏・吉良氏などの城址をいくつか紹介したいと思います。今日も文字数が多くなってしまいました。お付き合いいただき、ありがとうございました。