企業ドラマ的にいうと、
社長の山内と扇
その中で、社長子飼いの長尾取締役は、自らの待遇への不満から中堅社員を味
社内で存在感を増す太田部長を、扇谷専務は目障りに思い、疎んじ
専務はむざむざそれに引っかかってしまいました。自宅に歓待し、
ここからは企業物を離れ、歴史物の書きぶりに戻ります。
風呂を上がろうとする道灌に、扇谷定正の家来が斬りかかり、丸腰ではどうにも
この暗殺で、扇谷上杉(定正)側の有力な国人・地侍達の多くが、山内上杉方につき、扇谷上杉家は危機に陥ります。山内・扇谷の両上杉家は激しい抗争を続け、そこに北条早雲が進出、最後には扇谷上杉家は滅亡。山内上杉家も関東から追い出され越後に逃げていくことになるのでした。「当方滅亡」は自らが支えた扇谷上杉家の衰退を予言したものですが、世の中の移り変わりはそれ以上に激しいものだったといえます。
やっと赤羽八幡神社の話に進めます┐(´д`)┌ヤレヤレ
平安時代直前の784年に、坂上田村麻呂がこの地に陣を張った際に勧請されたのが起源だそうです。太田道灌もこの社の再興に力を尽くしています。
昭和46年(1971)に東北・上越新幹線が建設が決まった際に、神社の敷地を通らざるを得なくなり、最終的には社務所の真下をトンネルが通ることになりました。
そのため、境内から東北・上越新幹線や埼京線などを見下ろせるロケーションの神社として有名になっています。
次回は豊島氏・吉良氏などの城址をいくつか紹介したいと思います。今日も文字数が多くなってしまいました。お付き合いいただき、ありがとうございました。