おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

豊島に用心、城用心5

これらのお話は、「東京城址高生」とかぶるところががありますが、悪しからずご覧いただければ幸いです。

長尾景春の乱」における対立図式は

上杉氏側:山内(埼玉・群馬に本拠)・扇谷(川越・江戸に本拠)の両上杉氏 太田道灌(扇谷上杉氏の家宰)、長尾忠景(山内上杉氏家宰:景春の叔父)

長尾景春側:長尾景春山内上杉氏家臣 本拠は群馬県渋川市白井)、足利成氏(第五代鎌倉公方・初代古河公方 本拠は茨城県古河市)+南関東国人領主(豊島氏含む)

 

豊島氏は前回書いたように、当時石神井をを本拠として、石神井川流域に勢力がありましたが、江戸の太田道灌の勢力拡大を苦々しく思っていたと思われます。

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石神井公園内 石神井城址遺構 フェンスに囲まれています

1477年、当主泰経は石神井城、弟泰明は練馬城で(平塚城からここまで出兵していました)両上杉・道灌に対抗します。それにより、扇谷上杉氏の根拠である川越城と、江戸城の間の連絡通路が遮断されてしまうこととなりました。

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練馬城は、現在の「としまえん」(2020年閉園)の位置

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練馬城の遺構は、としまえんの南にある「向山庭園」に残っています

道灌は石神井・練馬の両城にこもる豊島氏に対抗し、中野区沼袋の沼袋氷川神社に本陣を置き、練馬城の周囲に火を放ち豊島氏を挑発、これに対し両城から出てきた軍勢を、江古田の地で待ち構えます。江古田・沼袋の戦いです。

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豊島塚のひとつ江古田氷川神社の南約100Mにある経塚 

豊島氏の話、まだ続きます。