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さて、題名にあるように今日から吉良氏の城址を紹介していきますが、「吉良」と聞いて、ほぼ十人が十人とも「吉良上野介」「忠臣蔵」を思い浮かべるでしょうが、ここで出てくる吉良氏は忠臣蔵の吉良氏と異なります。
といっても、元をたどれば足利氏の一門です。足利宗家の三代目、足利義氏が13世紀前半に三河国守護となりました。庶子の長氏が三河国内の吉良荘を領有したことから、吉良長氏と名乗りました。こちらを三河吉良氏と呼び、吉良上野介はこちらの系統です。
いまから紹介する吉良氏はそこから分かれ、一時期奥州で勢力を持っていたため、奥州吉良氏とも、武蔵国に移って武蔵吉良氏とも呼ばれます。14世紀の終わりごろ、現在の豪徳寺近辺に世田谷城を築き、居城としました。
戦国の世を後北条氏⇒徳川氏に従い、源氏の嫡流である足利氏一門である家格の高さから取り立てられますが、その話はまだ先で。
世田谷城の本丸は豪徳寺にあり、次回以降はこの豪徳寺の他、出城だったといわれる奥沢城(現在の九品仏浄真寺)や世田谷城西側の出城があったといわれる世田谷八幡宮などをご紹介します。