前回、「七井之池」、現在の「井の頭池」が神田上水の水源として選ばれたところまででした。察しの良い方なら、「井の頭」=江戸の井戸の頭、が語源なのでは?と気づかれると思います。命名者は徳川秀忠(二代将軍)とも、家光(三代将軍)とも言われています。
井の頭池から神田川の流れを追っていきましょう。(地図の貼り付け方を知りませんので、Googleマップなどでご覧ください)井の頭線に沿うように東へ流れますが、永福町と明大前の間で大きく北方向へ向きを変えます。
下落合(西武新宿線)~高田馬場あたりから、また東に向きを変えていきます。
都電荒川線の早稲田駅と、東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅の間に、「水神社」があり、神田上水の関口水門を守護する神様として祀られています。
この辺りで、神田川は東に流れる上水と、南に流れる余水に分脈します。上水は小石川にあった水戸藩の上屋敷の中を流れ、藩邸内の飲み水や生活用水だけでなく、邸内の庭を池泉にも使用されました。
藩邸から出た上水はここからやっと江戸城内に入る、ところですが、その為には、江戸城の外堀(分脈した神田川含む)を越えていく必要がありました。
次回、「水道橋」「懸樋」の話に続きます。