「腕の喜三郎」の隣に眠る「高橋傳」も、小塚原で刑死したわけでなく、明治12年(1879)に市ケ谷監獄(曙橋駅から北西にいったところに刑死者慰霊塔があるそうです)で斬首されたので、ここに葬られる縁がよくわかりません。
今の群馬県みなかみ町に生まれた傳は生まれてすぐ養子に出されます。元々母親が沼田藩の家老屋敷に勤めていた際に手がついたという複雑な家庭事情もあったようです。
14歳の時に婿養子をもらいますが、うまくいかず離縁。慶応3年(1868)村内の高橋波之助と再婚しました。しかし、幸せな結婚生活も束の間、波之助が病を得てしまいます。病気は今でいうハンセン病でした。この病気は前世の業によるものとか、非科学的な偏見があふれた時代です。お傳は看病を尽くしますが、次第に周囲ともうまくいかなくなるだけでなく、生活も困窮し、明治4年の年末に二人は逃げるように東京に出ます。時にお傳はまだ二十歳でした。
結局献身的な看病にもかかわらず、二十三歳の時に波之助はこの世を去りました。
全然話が鼠小僧に進みませんが、本日はここまで。