おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

アヤメとカキツバタ、いざ尋常に勝負菖蒲2

菖翁=松平定朝を検索すると、安永3年(1773)〜安政3年(1856)に生きた江戸幕府の旗本で、花菖蒲の育種家。と紹介されています。

安政元年が、日米和親条約締結の年ですから、江戸後期から幕末の入口くらいまでの八十余年を生きたわけですね。
様々な草花を栽培し、なかでも花菖蒲は60年もの間、改良に打ち込んだ、とも。
実際に 定朝が、生涯に生み出した花菖蒲の品種は200以上に上るとか。

今でこそ、花菖蒲の品種は5000とも言われています(東京花菖蒲会HPより)が、この時代に200の品種が増えた、というのはがどれほどのことなのでしょう。

花菖蒲の原種は「ノハナショウブ」およびその色変わりやそれらの交雑種くらいしかありませんでした。泰平の江戸時代になるまでは、ほんの十数種だったと思われます。

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原種にあたる野花菖蒲(小岩菖蒲園

17世紀後半の寛文~元禄年間には、大名や旗本の屋敷の庭園内で菖蒲が栽培された記録があり、ここで品種が増えました。駒込の植木屋、伊藤伊兵衛(三代目と四代目)がそれぞれ記した園芸書に、40種類ほどの品種が紹介されているようです。

この時期の花菖蒲の名残をとどめているのが、花菖蒲の系列の一つ、「長井古種」といわれる品種です。

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長井古種の一品種 舞小町

江戸時代の前期、菖翁が新たな品種を生み出すまでは、せいぜい五十くらいの品種だったと思われます。彼一人が生み出した200品種がいかに大きな数字かわかります。

菖蒲の話、続きます。