「菖翁」松平定朝が菖蒲を育てたのは、自身の屋敷のあった麻布桜田町でした。現在は元麻布三丁目、中国大使館のあたりです。そういう意味では、元麻布は菖蒲発展の地、といえるかも知れません。
彼は晩年に、自身の作り上げた品種の紹介や栽培方法をまとめた「花菖培養録(かしょうばいようろく)」を著します。この題名で検索すると、これもまた国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できます。
ページは記載されていないので、コマ番号33分の18から、自身の品種を絵で紹介しています。その数は、200ではなく21種類。気に入った自信作のみを紹介したのでしょうか。「雲の峯」から始まり、最後を飾る品種の絵が「宇宙」。
「宇宙」(おおぞら)が彼の最高の自信作で、「ああ、人力の造化に冥合するか遂に奇品出るにいたれり」と最高の誉め言葉で紹介されています。
残念ながら私の現在の菖蒲写真コレクションには「宇宙」をはじめ、「花菖培養録」に紹介された21種類の写真はありませんでした><
堀切菖蒲園で見られるという話も聞きますので、ぜひ写真に収めたいと思っています。
しかし、この系列が「江戸系」と呼ばれ、群生させて楽しむ目的で改良されていることから、病気などにも強く、現在の各品種の基礎となっているようです。
菖翁は晩年まで、菖蒲を門外不出としていましたが、最後には分譲を切望する人々を断り切れなかったのか、花を分け与えるようになりました。
一部の花は肥後藩士にも譲られ、肥後の地で新たな品種が発達しました。
次回は「肥後系」と「伊勢系」を紹介(写真あったかな・・)していきます。