おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

聖地・張切り Show View 宴

花菖蒲についていかにもな話を述べてきたわけですが、本日、堀切菖蒲園を見てきて反省しました。

私、菖蒲の奥深さを全く分かっていませんでしたm(__)m

というくらい堀切菖蒲園のすごさを実感したわけです。

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堀切菖蒲園入口「江戸名所のひとつ」の言葉に自負が感じられます

「菖翁」、松平定朝が元麻布で勝負の品種改良をするのと並行して、庶民の間にも品種改良の動きがありました。元々湿地帯であったこの地域に、小高伊左衛門という人物が堀切村に初めて花菖蒲園「小高園」を開園したのが、堀切菖蒲園の元祖といえます。

花農家であった伊左衛門は、特に花菖蒲の栽培に心を尽くしていました。ある時、本所の旗本、万年録三郎から花菖蒲の分与を受けましたが、その中に菖翁作の花菖蒲を譲り受けていも含まれていました。

それらを元に堀切の地は、既存種の育成と新たな品種創生発展の地となります。花菖蒲のショールーム、いやショーガーデンの役割を果たしたわけです。

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堀切菖蒲園の案内看板 江戸時代にすでに堀切が菖蒲のメッカとして挙げられています

 大高園以外にも堀切には数々の花菖蒲園が誕生しましたが、昭和に入ると、都市化や水質の悪化、さらに食糧確保のための水田化などで一度は断絶。戦後、堀切園だけ「堀切菖蒲園」として営業を再開していました。その後、東京都が買収して公園として公開し、1975年に葛飾区に移管されて、現在に至っています。

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入口近くの灯篭から

現在200種6,000株を園内で公開しています。6,000株という数字は他の菖蒲園と比べても、決して多い数字ではないのですが、200種と実際の見せ方が、国内最古の観光菖蒲園の名前に恥じない奥の深いものでした。

次回に続きます。