文京区の白山神社内に富士塚があり、六月の土日には開放されているというので、開扉の三十分前から並んだのが二年前。上り下りした後に行列が5倍くらいの長さに増えていたのが、遠いことのように思われます。(@_@)
富士塚については、都内他のものを別の機会にご紹介しようと思いますが、この季節は紫陽花の話をしようと思います。
その際、「白山あじさい物語」という文京区が作っているパンフレット、というかプリンター印刷物をいただきました。上記の表題で検索すると、同じものがPDFで手に入れることができます。
そこに、二つの気になる情報が・・
短い文章ですが、シーボルトが自身の日本の植物に関する著書の中で、日本で愛した遊女其扇(そのおうぎ 本名はくすもと・たき)の愛称「おたきさん」の名前を付けて紹介した、というものです。
この話とは別に、オウムに言葉を教えるときに「オタケサン」と言うのは、シーボルトが、飼っていたオウムに恋人の名前「おたきさん」を教えようとしたものの、発音が悪かったのか、「おたけさん」としてオウムが覚えてしまった、という話もあります。
27歳で日本に来て、5年後シーボルト事件が起こり、日本を追放された後も、48歳まで結婚せずに過ごしています。心の隅に「おたきさん」と娘「イネ」と日本への想いがあったことでしょう。
シーボルトと紫陽花の話、もう少し続きます。