おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

山は流れてどこどこ行くの3

流山赤城神社の北隣には本堂には、光明院というお寺があり、「一茶ゆかりの寺」「新選組士分宿の寺」と書かれた板が掛けられています。

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光明院本堂 右側に「一茶ゆかりの寺」左に「新選組士分宿の寺」

ここではお寺の本堂の前に植えられている多羅葉(たらよう)という樹をご紹介します。幹に説明が書かれた板がありいますが、それによると、インドで経文を記すのに使われた樹とは別のもので、その葉と同じく葉の裏側に字や絵が描け、「葉書」の語源となった説があるとのこと。

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樹にかけられた説明板

「ご自由にお書きください」とは書いてあるものの、そこは遠慮し、葉の裏側をのぞき込んでみました。

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葉の裏側に何やら書かれているのが見えますか?

写真ではあまりはっきり映っていませんが、実際に見たところでは、緑の葉に茶色の線が表れて、過去に参拝された方の筆跡(爪痕?)の文字を読み取ることができました。常緑樹ということなので、数か月後でもメッセージを遺すことができ、伝言板的な役割を果たすこともできそうな感じですね。

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秋元双樹の墓

寺内の墓地には、秋元双樹のお墓がありました。五代目秋元三左衛門といい、「双樹」を号として名乗りました。流山の栄えた一因「白味醂」の開発者の一人であり、かつ小林一茶の友人で俳人としても知られた人物です。一茶は40歳くらいから50半ばまでの間に、流山を50回以上訪ねており、その際の寄寓地は秋元家でした。

秋元双樹と小林一茶について話を続けます。