流山赤城神社の北隣には本堂には、光明院というお寺があり、「一茶ゆかりの
ここでは
「ご自由にお書きください」とは書いてあるものの、そこは遠慮し、葉の裏側をのぞき込んでみました。
写真ではあまりはっきり映っていませんが、実際に見たところでは、緑の葉に茶色の線が表れて、過去に参拝された方の筆跡(爪痕?)
寺内の墓地には、秋元双樹のお墓がありました。五代目秋元三左衛門といい、「双樹」を号として名乗りました。流山の栄えた一因「白味醂」の開発者の一人であり、かつ小林一茶の友人で俳人としても知られた人物です。一茶は40歳くらいから50半ばまでの間に、流山を50回以上訪ねており、その際の寄寓地は秋元家でした。
秋元双樹と小林一茶について話を続けます。