流山の地は、近藤勇と土方歳三が今生の別れの地、として知られます。
京都での活躍はよくよく知られている新選組ですが、鳥羽伏見の戦いを起点として、転がり落ちるように流転します。
エピソード0 油小路の戦闘
慶応3年(1867)3月、新選組参謀の伊東甲子太郎(かしたろう)ら14名が新選組を離脱し、「御陵衛士(ごりょうえじ)」となりました。
近藤と伊東では、親幕府と親朝廷の立場で別れたわけです。(近藤が反朝廷というわけではありませんが、立場をわかりやすくするためこの表現を用いています)
10月14日大政奉還 11月15日坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺される
11月18日、近藤は「これからの国事について語り合いたい」と伊東を酒宴に誘い、酒宴後、隊士に暗殺させました。更に伊藤の死体を放置し、御陵衛士たちをおびき寄せて夜襲しました。その際に藤堂平助らの数人がそこで闘死しました。
エピソード1 戊辰戦争と江戸帰還
慶応4年=明治元年(1868)1月3日の鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍敗退。徳川慶喜が江戸に帰還したのに伴い、幕臣となっていた新選組も幕府軍艦で江戸にたどり着きます。
前年の12月に、生き残った御陵衛士が、伏見から二条城に向かう馬上の近藤を狙撃し、近藤は右肩を撃たれて負傷していました。そのため、鳥羽・伏見の戦いには参加できず(沖田総司も病気で参加できず)、副長である土方が隊の指揮をとりました。
この話、続きます。