おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

伝家の疱瘡~「陽だまりの樹」の舞台をたどる

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。

新型コロナウィルス陽性者が増加する中、手塚治先生の「陽だまりの樹」を読み直していました。伊武谷万二郎という常陸府中藩士と、手塚良仙という江戸の蘭方医が幕末の日本で織りなす物語です。

前者は架空のキャラクターですが、後者は物語の最後のコマで手塚先生の曽祖父にあたることが明らかにされます。そのため、良仙サイドの話のいくつかは実話に基づいています。

・手塚良仙が大阪へ行き、緒方洪庵適塾に入塾、福沢諭吉と同窓であったこと

・良仙が大阪で洪庵の除痘館を手伝ったこと

・良仙の父、手塚良庵も江戸の種痘所設立に尽力した

物語の前半は大阪での良仙の生活と、江戸に戻っての種痘所設立までの話が繰り広げられますが、この項では良仙の師であり、のちに江戸で幕府奥医師兼西洋医学所頭取を務めた緒方洪庵の事績と史跡をご紹介していきたいと思います。

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緒方洪庵像 大阪適塾

緒方洪庵適塾は、福沢諭吉大村益次郎村田蔵六)、橋本左内大鳥圭介などの幕末~明治期に活躍した人材を多く輩出したことで知られ、それが洪庵の一番の功績といわれていますが、天然痘の治療・予防のほか、幕末に流行したコレラへの治療手引書を配布するなど、日本の医学の近代化に努めました。

次回は、洪庵の事績をたどる前に、基礎知識として、日本における疱瘡、すなわち天然痘の歴史などについて触れていきたいと思います。