疱瘡、すなわち天然痘は、現在でこそ根絶されているものの、感染力が強く、また死に至らずに済んだとしても痘瘡=あばたが残ってしまいます。日本においては古く6世紀に大規模な流行が起こっています。百済等、大陸からの人の流入とともに、島国日本に入ってきたものと思われます。ちょうどは仏教が普及し始めた時期であったために、日本固有の神の祟りだ、として、仏教擁護派と廃絶派が激しく対立しました。
それ以降、何度も大流行を引き起こしています。奈良時代には藤原氏(南・北・式・京の四家)の長が相次いで疱瘡で亡くなっていますし、独眼竜伊達政宗の片眼の失明も疱瘡によるものでした。
当時の人々にとって、疱瘡は怨霊の祟りであると信じられ、疱瘡神を祀ることで平癒を祈るようになりました。疱瘡神は赤い色を嫌うといわれ、郷土玩具である飛騨の「さるぼぼ」や会津の「赤べこ」も元々は天然痘除けのためだそうです。
昨年のことですが、田端の周辺を散歩していた時に、お寺の前に赤い2つの塊が見えました。
近くには案内板が置かれていて「赤紙仁王尊」とありました。自分の患部と同じ場所に赤い紙を貼ることで病気身代わりを祈るらしいのですが、元々は疫病を静めるために建立されたもののようです。
近くによると、こんな感じです。
現在でこそ、疱瘡が赤い色を避けるというのは、迷信だと片づけられますが、病に苦しむ当時の人々は真剣です。
しかし、日本においても蘭方医より医学的に疱瘡を予防しようという動きが出てきます。シーボルトがすでにヨーロッパで普及していた種痘を長崎の出島で行いましたが、成功しませんでした。その後種痘がどのように普及していったのかについては次回で。