おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

伝家の疱瘡~「陽だまりの樹」の舞台をたどる3

シーボルトバタヴィア(現在のインドネシア首都、ジャカルタにあたります)から牛痘苗を持ち込もうとしましたが、赤道を経て日本に至るまでの間、肝心の苗が高い気温のために死滅してしまっていたため、人に苗を植えても免疫を得ることができなかったようです。種痘の理論や具体的な手順については弟子たちに伝えることができたものの、種痘の苗の入手が最大の難関でした。何度もバタヴィアから運ばれた種痘の苗により、最初に成功したのは嘉永2年(1849)6月のことです。

緒方洪庵が大阪に除痘館を設立したのがその年の11月のことといいますから、蘭方医の間で、いかにこの苗が待望されていたかがわかります。除痘館設立から11年たった万延元年(1860)には場所を適塾南の尼崎町1丁目に移しています。

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移転後の除痘館と適塾の位置関係

橋本左内適塾に入塾したのが、除痘館の設立と同じ年で、福沢諭吉の入塾は安政2年(1855)ですから、洪庵は教育者としても医学者としても一流の人物でした。

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大坂 北浜にある適塾 大阪大学医学部のもととなりました

現在でも、新型コロナウィルスのワクチン接種にあたっては、色々なうわさが飛び交っています。副反応でその後不妊性になるというものから、磁石がくっつく、マイクロチップが埋め込まれる、というものまで。伝染病に関する科学的な知識のないこの時代においては、蘭学者を除いては、種痘に対する誤解は想像を絶するものでした。種痘のもとになるワクチンが牛痘からとられたものであることから、種痘を受けると牛になるなど。大阪での種痘普及までのお話はまた次回で。