おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

仰げば尊しわが師の洪庵(「福翁自伝」より)2

私の世代は緒方洪庵のイメージというと、小学校高学年の時に大河ドラマ「花神」の宇野重吉さんが思い浮かびます。同世代でも大河ドラマを見る習慣のない方や一回りふた周り若い世代だと、「JIN-仁」の武田鉄矢さんでしょうか。
もの静かで誠実そうで、かつあまり身体が丈夫そうでないところ、宇野さんがぴったり役にはまっていたように思います。

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主な塾生たち

さて、中津藩大坂蔵屋敷の長屋で寝込んでいた諭吉(花神で誰が演じてたか調べたところ、入川保則さんでした)の元を洪庵を訪れます。
チフスの先輩(洪庵の弟子でもあります)が、諭吉の看病の甲斐もなく亡くなり、今度は諭吉が同じ病に罹ったのを他の塾生から耳にしたのでしょう。
ここのところは、なるべく原文のまま紹介しましょう。
それから、私はそのときにいまにも忘れぬことのあるというのは、緒方先生の深切。「おれはおまえの病気をきっとみてやる。みてやるけれども、おれが自分で処方することはできない。なにぶんにも迷うてしまう。」(中略)緒方先生が私の病をみて、どうも薬を授くるに迷うというのは、自分の家の子供を療治してやるに迷うと同じことで、その扱いは実子と少しも違わないありさまであった。(中略)私は真実緒方の家の者のように思い、また思わずにはいられません。
洪庵が診察を行い、内藤数馬という朋友の医師に薬の処方を依頼し、できる限りの治療を行った結果、一時は人事不省にまで陥った諭吉も、元々の身体が頑丈にできていたためか、幸いにして回復することができたのでした。この時に命を落としていたら、後の慶應義塾大学は設立されていなかったわけですから、日本の近代教育史への貢献も大きなものだったといえます。(適塾大阪大学医学部の源流ですし)
洪庵と諭吉、適塾の話は続きます。