ここから先の話ですが、Wikipediaの「影向のマツ」の記載が最も詳しく書かれていて、色々調べてもそれ以上のことがわかりませんので、正直にそこから抜粋いたします。
(表現は若干変えて進めます)
当時の善養寺住職は、わが寺のマツを自慢に思い、寺の門前に「日本一」という看板を立てかけていましたが、それを見かけたタクシーの運転手が、「私の出身地、香川県志度町
「岡野マツ」とは、香川県の志度町(現在はさぬき市)の真覚寺境内に生育するクロマツの巨木でした。真覚寺の山号が「岡野山」であることからこの名がついたとされています。
その知らせを聞いた善養寺の住職は、さっそく香川県の真覚寺まで出かけていき、岡野マツのサイズを巻尺で実際に測ったところ、枝の広がりが、わずか数センチ、岡野マツの方が勝っていました。最大の広がり部分の「長さ」ではほんの少し劣っていたものの、拡がりの「面積」では互角だったことから、住職は「形の良さで、うちの影向の松の方上だ」と自身に言いきかせたといいます。
この日本一争いはそれだけではおさまりませんでした。テレビの情報番組が影向のマツを「日本一」と紹介したことに対して真覚寺側が抗議し、善養寺側もラジオ番組に出演して「影向のマツこそ日本一」と訴え、その論争はヒートアップします。1年たってもその論争は収まりませんでしたが、1980年5月、ついにこの論争が決着する時を迎えます。この続きは次回で。