おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

善え樹を養う~横綱の松~8

行事部屋へと向かう伊三郎の背中を見送る住職、昔ながらの国技のしきたりをかいくぐって、白木の軍配は使われるのだろうか、と半信半疑の想いで桟敷席に座り、どうなるものかと、固唾を呑んで土俵を見つめます。

f:id:tadakaka-munoh:20210831220412j:plain

白木の軍配は果たして・・

大相撲の取組は進み、中入り後、三役の登場となり、式守伊三郎が土俵に上ります。東には貴ノ花、西に豊山。高らかに呼び声を上げる右こぶしに握られたのは、格式ある金箔のきらびやかな軍配ではなく、親方宗四郎の悲運が込められた白木の軍配でした。

住職は思わずむせび泣き、宗翁よ御覧なさい、あの軍配が大関相撲を裁き、貴方の無念は今晴れましたぞ、と亡き宗四郎を思い描きます。

ここからは原文のままご紹介していきましょう。

過ぎにし昔蒔かれたる 人の情けのその種が 

長の年月朽ちもせで 今花開く土俵上

国技と呼ばれる伝統の 掟きびしき相撲道

亡き恩人に手向けんと 敢てかざせし白木板

万余の人の歓声の 勝負の陰に咲き出でし

情けの花を誰か知る ああ軍配に涙あり

f:id:tadakaka-munoh:20210831223133j:plain

ラストです

副立行事伊三郎 昔の恩義忘れずに

見事に返す晴姿 男情けの心意気

かざすに軽きひとさしの 軍配なれど秘められし

報恩行のまごころは げに千金の重みあり

知恩報恩人の道 後の世にまで伝えんと

偈文に綴り石に彫る 報恩軍配物語

人の心をうるほして ゆたかに実れ命草

人の心を潤ほして 豊かに実れ命草

 

この取組が行われたのが昭和48年(1973)、式守伊三郎は昭和62年(1987)まで三役格行事を務め、現役のままその年の10月に62歳でこの世を去りました。この話は伊三郎の死後新聞に掲載され世に知られるようになり、それをきっかけに平成元年にこの石碑が建てられました。

七五七五のリズムで語られたこの物語は、実話だけに読む人の心を打つものがありますし、死後までこの話を表に出さなかった伊三郎に、昭和の男の心意気を感じます。

軍配報恩物語は以上ですが、善養寺についてはもう少しみどころをご紹介させていただきます。