文福茶釜の話を童話として広めた巌谷小波は、明治・大正期の児童文学史には必ず名前の出てくる児童文学者・作家です。桃太郎、金太郎、浦島太郎のほか、花咲爺、かちかち山なども昔話・説話の中から小波によって子供たちに広く紹介されました。
舞台となった茂林寺は、山門・本堂とも萱葺きで、15世紀前期、室町時代に開かれた古刹の趣を感じます。曹洞宗のお寺ですが、開山となる大林正通禅師が、諸国行脚の折、 上野国に立ち寄り、伊香保山麓で守鶴という僧と出会います。
応永33年(1426)に大林禅師は守鶴を伴い、舘林の地に小さな庵を結んだところ、土地の領主の厚い帰依を受け、小庵を改めて堂宇を建立し、青龍山茂林寺と号しました。
伝説「茂林寺の釜」はこの守鶴が主人公の話で、最初にご紹介したお話とは大きく違っています。
守鶴は代々の住職に仕え、元亀元年(1570)、茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。(140年あまり時が経っており、その長命に驚かされますが)多くの僧に茶をふるまうには、大きな釜が必要です。守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。
この茶釜こそが、現在も茂林寺に伝わる「紫金銅分福茶釜」なのですが・・
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