京成バラ園の研究所長に就任した理由として、新品種の育成に、大企業のバックアップが心強いと考えたからですが、実際に薔薇の育種には膨大な時間と手間がかかります。世界に売り出せるような品種を作り出すまでに約10年の年月が必要でした。
1967年、オランダのハーグ国際コンクールで、「輝き」が銀賞を、更に1971年にニュージーランド国際コンクールで「聖火」が南太平洋金賞を受賞します。日本作出の薔薇が、国際コンクールにおいてはじめて最高点を獲得したのです。
「バラを志す者は、絵と音楽に親しまなければならない」と研究所員にクラッシックの演奏会のチケットを配りました。自分自身も演奏会の他、美術展を訪れるなど、審美眼の向上こそが薔薇の育成に役立つと考えていたのでしょう。
また、「育種家の権利は、著作権や特許権と同様に守られるべき」と主張し、のちの種苗法制定のための運動にも深くかかわりました。
鈴木省三さんが生涯で作出した品種は130にものぼるといわれています。
「ミスターローズ」と呼ばれるようになったのは、1986年のこと。オールドローズのコレクターとして知られたトレヴァー・グリフィス氏のニュージーランドにあるバラ園を訪ねた時のことです。地元の新聞の記者が取材に訪れ、紙面に「ミスターローズ」と紹介されたのです。この言葉は、薔薇の文化を代表する人物、という意味で、生涯を薔薇の育成に捧げた彼にとって、最大の賛辞だったと思います。
まだ薔薇の話が続きます。