「東都薬品会」には、当時としては斬新なアイデァが盛り込まれていました。まず、引札(ひきふだ)といわれる現在のチラシの配布です。参加者を集めるために、全国の同好者に配布しています。
この引札には薬品会開催の意図として、
・我が国は動植物、鉱物に恵まれていながら、中国などからの入るものに頼っている
・日本にはまだまだ埋もれている産物が多いはず
・その開発こそが国益につながるので、そのためにも同行の士による知識交換が必要
を述べ、
・地元の物産や所蔵するものを取次所に送ってほしい
と依頼します。そうした引札と併せて、協力者に要請して、各地に物品取次所を開設し、そこに物産等を送ることで、開催会場まで足を運ぶ負担を無くし、しかも送る際の費用については、いまでいう着払いのシステムを採用しました。
こうした工夫により、開催された薬品会は、従来の規模の倍近い1300余りの物産を集めることに成功しています。
この薬品会は湯島で開催された、とありますが、湯島天神とか、湯島の聖天等の境内を使用したのか、知り合いの商人の店舗を借りて行ったのか、具体的な場所についてはわかりませんでした。
この博覧会の前後から、同好の士との交友範囲が広まりましたが、その中に若狭国小浜藩出身の二人の蘭方医とも知り合いになりました。杉田玄白と中川順庵です。
この話、続きます。