おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

蘭学こと(ば)始め2

ちょうど同じころ、カピタン(オランダ商館長)江戸参府の際の宿泊地、長崎屋を訪問した中川順庵は、そこで『ターヘル・アナトミア』および『カスパリュス・アナトミア(カスパル解体書)』を見せられます。希望者がいれば、これを譲ろうと言われ、この2冊を預かった順庵は、杉田玄白に見せます。二人とも言葉は読めないものの、本に描かれた図の描写が見事であったことから手に入れたいと思いますが、買い求めるお金がありません。玄白は小浜藩の家老に頼みこみ、本を入手することができました。

これらの本を手にして図を眺めると、今度はその図と実際の人体を比較してみたいと思うものですが、その時はすぐにやってきました。「蘭学事始」の玄白の記述によれば、明和八年(1771)の三月三日の晩、江戸町奉行の家来から手紙が届きます。

手紙には、明日千住の処刑場の骨ヶ原で腑分け(解剖)を行うので、お望みであればお越しください、という内容が書かれていました。

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小塚原回向院 首切地蔵 骨ヶ原(こつがはら)=小塚原(こづかっぱら)

医業に熱心な同士を誘おうと、中川順庵を始め、周囲の医師の知り合いに声を掛けます。その中に十歳年長の先輩、良沢もいました。

この7年ほど前に、玄白と良沢は長崎屋を訪ね、通詞筆頭の西善三郎にオランダ語を学びたいと申し入れ、「無駄になるからやめた方がいい」と意見されています。

良沢に声をかけると言っても、腑分けは翌日、急に知らせるすべもなく辻篭を雇い、手紙を託するのみでした。

翌朝、待ち合わせの場所へ行くと、仲間は皆集まっており、その中に良沢の顔もあります。良沢は一冊のオランダ書を懐から取り出します。『ターヘル・アナトミア』です。玄白も「私が手に入れた本と同じ!驚くべき奇遇だ」と、互いに感激します。

次回、腑分けに立ち会う一同のお話です。