おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

一心不蘭、百花繚蘭2

地下鉄東西線神楽坂駅の南西200Mくらいのところに、新宿区立矢来公園というこじんまりとした公園があります。このあたりの地名が「矢来町」というのですが、これはこの公園のある場所に、小浜藩酒井家の下屋敷があり、屋敷の周囲に竹矢来が巡らされていたいたことから付いた地名だそうです。

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矢来公園にある小浜藩邸跡の石碑

杉田玄白はこの藩邸で生まれました。少年時代に一度家族で小浜に移り、五年ほどでまた江戸へ戻り、小浜藩医として小浜藩上屋敷神田淡路町の辺り)に勤めていました。同じ小浜藩医の中川順庵や、讃州浪人の平賀源内と交流があり、前野良沢らと「解体新書」を翻訳したことについてはすでに触れました。

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小浜藩邸跡の石碑を横から見ると「杉田玄白誕生の地」とあります

職人肌で気難しい良沢と、玄白・順庵と桂川甫周(幕府奥医師桂川甫三の息子)達が翻訳に力を尽くしたわけですが、玄白は一日の会合で読み解いた部分を、夜自宅に戻って清書翻訳します。あまりに性急な玄白を周りの皆が笑いますが、「私は病気がちで都市もとっていて、この仕事の完成まで立ち会えないかもしれない。だからこそ急いでいるのです。この仕事が大成する頃には、私は草葉の陰で見ているでしょう。」

この答えがよほど面白かったのか、桂川甫周は、玄白を「草葉の陰」というあだ名で呼ぶようになったということです。

杉田玄白が「蘭学事始」に書いたエピソードですが、その内容に反し、解体新書の発刊に立ち会えただけでなく、この四人の中で玄白がもっとも長生きをするのです。

玄白の話、続きます。