おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

落語あれば座り5

「噺の会」で発表された小噺などはまとめられ、「喜美談語」、「落噺詞葉の花」、「無事志有意」刊行されました。噺の会のメンバーは、世に知られた戯作者や狂歌師でしたから、これらの噺本の題名にも洒落がうかがえます。

「喜美談語」(きびだんご)は桃太郎の黍団子とかけたもの、「落噺詞葉の花」(おとしばなしことばのはな)はストレートな題名ですが、噺の花が咲くイメージでしょうか。「無事志有意」(ぶじしうい)は説話集として知られる「宇治拾遺物語」にかけた題名でしょう。

最初は料亭などの席を借り、噺好きな素人連が集まり、特に料金を取るわけでもなく、互いの噺を持ち寄って発表する場だったわけです。

烏亭焉馬自身は、趣味の延長でこれらの会を開催していただけで、特に職業的な落語家というわけではありませんが、次に続く基盤を作ったことから、「江戸落語中興の祖」とされています。

焉馬は文政五年(1822)、八十歳でこの世を去ります。本所表町の最勝寺に葬られましたが、最勝寺大正元年(1912)下平井に移転、境内の墓地に眠っています。

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下平井 最勝寺境内の烏亭焉馬の墓

焉馬自身は、料亭を借り切ったり、自宅などで噺会を開きましたが、その噺会の中から山生亭(のちに三笑亭)可楽が、下谷の「柳の稲荷」社の境内において、木戸銭をとって落語を演じる「寄席興行」を始めます。寛政十年(1768)十月のことでした。これを江戸における寄席興行の始まりとされています。

次回は最初の寄席と三笑亭可楽について触れます。