おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

radio a〜a〜 もしくは 生まれたてのradio4

ラジオの受信者数増加とともに、購読者数を大幅に増やしたのが読売新聞です。本放送開始後わずか4ヶ月後の大正十四年(1925)十一月に、他に先駆けて「ラジオ版」を設けてラジオ番組を紹介したことが反響を呼びました。他の大手新聞、朝日や毎日が追随して「ラジオ版」を設けたのは、そこから五年半後のことでした。

今の新聞のラテ欄のルーツは読売新聞にあるわけです。

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ホーン型スピーカーなど 放送博物館エントランス展示より

また、娯楽番組のひとつとして、ラジオ劇(ラジオドラマ)が数多く制作されます。「ラジオドラマ資源」で検索し、戦前のラジオドラマの一覧(抄録となっていますが)を見ると、放送開始年です大正十四年だけでも、「絵本太閤記」「金色夜叉」「心中天網島」など、耳にしたことのあるタイトルの放送が行われています。

その中でも、八月十三日に放送された「炭鉱の中」は、「皆さん電気を消してお聞きください」というアナウンスから始まります。イギリスのBBCのラジオドラマを築地小劇場小山内薫 (おさないかおる) が翻訳・アレンジしたこのドラマは、炭鉱事故で真っ暗な坑道に閉じ込められた老人と若い男女が、死の恐怖と戦い、極限状態の中で繰り広げられるさまを二十分で描いたものです。爆発や水があふれる音など、音響効果を駆使して放送され、受信者を夢中にさせ、評判となったようです

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ラジオ受信機(1925 二球ラジオ)二球とは真空管を二本使っているという意味です

このラジオドラマの成功によって多くのラジオドラマが制作されるとともに、築地小劇場など新劇から多くの人材を輩出することになりました。

また、日本放送協会NHK)はラジオドラマ専門の俳優を養成するため、東京放送劇団を発足させます。これが声優のルーツであるとされています。

ラジオの噺、続きます。