おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ラジオ・リスナーの嘆き2

昭和十一年(1936)二十六日、国家改造を目指した陸軍青年将校らが、下士官・兵士1,483名(1,558名の説もあり)を率いてクーデターを企てます。三十年ぶりといわれる大雪の中、午前五時過ぎに岡田啓介首相官邸高橋是清大蔵大臣私邸などを襲撃する他、警視庁と陸相官邸を占拠します。また、九時から十時にかけて新聞社・通信社に乗り込み、声明文を手渡して、内容を全国に報じるよう要求しています。

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憲政記念館内庭から国会議事堂を臨む

反乱の報を受けた陸軍首脳たちは、鎮圧のため戒厳司令部を設け、青年将校ら首謀者への説得を始めますが、彼らは聞き入れようとしません。

この間、愛宕山の放送局は、戒厳令司令部により騎兵第一連隊108名が警戒に当たっています。午前七時二十分には、放送協会に向けて、本事件に関する報道の禁止令が通達されました。これにより、ニュースだけでなく、通常の放送予定番組も放送を自主的に中止し、ラジオは二十六日昼過ぎまで無音が続きました。

やっと午後零時四十分のニュースで、「東京・大阪の株式市場の臨時休業、手形交換所休会、日本・三井・三菱銀行の平常開業」が伝えられます。これだけで聴取者には「何か大変な事件が起きたらしい」と思わせるには十分でした。夜七時のニュースで、第一師団の管轄下に戦時警備令が公布されたこと、続いて八時三十分に、ようやく事件の概要が放送で伝えられました。

日本軍の兵士は、上官の命令=天皇陛下の命令、として服従していますから、上官が命令を撤回しないことには、反乱軍兵士は投降の説得に応じません。とはいえ、彼らもラジオを通じて情報を集め、何が起こっているかを知ろうとしていました。

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当時の電信電話機(郵政博物館)

兵士たちの電話でそのことを知った戒厳司令部では、兵士たちの説得にラジオ放送を使うことを試みます。二二六事件の話、続きます。