おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

テレ日是好日2

「日本ビクター」は、米国ビクター社(The Victor Talking Machine Company)の日本法人として昭和二年(1927)に設立されました。戦前に製造された「反射式テレビ受像機」も、日本ビクターの製品で、NHKとともにTV放送の実現化に向けて研究を行っていたことから、高柳を迎える下地はあったわけです。

日本ビクターで、高柳は技術部長の職に就きます。この時にはGHQによるテレビ研究の禁止は解除されていました。高柳自身が中心となってNHKやシャープ(早川電機工業)、東芝と共同でテレビ放送技術とテレビ受像機を完成させました。

国産のテレビ受像機を最初に生産したのはシャープで、昭和二十八年(1953)一月のことでした。14インチブラウン管の白黒テレビの価格は17万5000円。ちょっとピンとこない価格ですが、大卒初任給が約1万5000円ということから、給料12ヶ月分と考えれば、いかに高価なものであったかがわかります。

そして同年二月一日、NHK東京テレビジョンのテレビ放送が開始されました。当時、NHKにあったのはスタジオ系カメラが3台、中継用カメラが2台だけ。テレビはフィルム撮影の一部のニュース、映画などの番組の他はすべて生放送で、一日の放送時間は約4時間程度でした。それに遅れること約半年、八月二十八日には民間放送第一号となる日本テレビ放送網が開局します。

テレビ放送が始まったとはいえ、当時日本全体でテレビ受像機を所有していたのは約900世帯。受像機の値段が高すぎるのでせっかく放送が始まってもそれを見ることのできる人は限られています。

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冷蔵庫・白黒テレビ・電気洗濯機の「三種の神器」の普及は昭和三十年以降です

そこで、日本テレビの社長に就任していた正力松太郎は、テレビの広告メディアとしての威力を発揮させるために、放送開始に先立ってあることを進めていきます。

その話は次回に。