おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

お楽しみはこれ、カラーだ2

カラー放送の原理は、撮影するカメラが画像を光の三原色(赤・青・緑)に分解し、その信号を電波に載せてテレビ側に送ります。テレビ側では、電波信号は電子銃により電子ビームとなってブラウン管に当てられます。その三色の光の粒子の組み合わせでカラー映像を映す、という仕組みです。

つまり、カラー放送を行うためには、映像を三原色に分けるカラー対応のテレビカメラと、その信号を受け取るカラーテレビが必要になる、ということです。

f:id:tadakaka-munoh:20220204222446j:plain

カラー対応のテレビカメラ(昭和三十三:1958年) 放送博物館

f:id:tadakaka-munoh:20220204222531j:plain

上のテレビカメラ説明

すでに昭和三十一年(1956)12月にNHKはカラーテレビ実験局を開局し、実験放送を行っています。白黒テレビ放送が始まってまだ三年十ヶ月しか経っておらず、白黒テレビの普及率がひとケタの状態です。世界を見渡してもカラー放送は米国のみ、でしたから、まだ時期尚早であり、まずは白黒テレビの普及を進めるのが先だと判断されたのでしょう。

力道山の活躍、皇太子殿下のご成婚といった世間を賑わせたイベントを経て、昭和三十四年(1959)の白黒テレビの世帯普及率はやっと23.6%。まだまだ低いようですが、その前年の数字が10.4%でしたから、2.2倍になっています。

川崎駅からすぐのところにある、「東芝未来科学館」には日本最初のカラーテレビは展示されています。

f:id:tadakaka-munoh:20220204230029j:plain

東芝の日本初国産カラーテレビ:東芝未来科学館

その展示の説明によると、「昭和三十二年(1957)に日本初の21型カラーテレビ受像機を公開し、昭和三十四年(1959)に17型の純国産化カラー受像機を完成し、国際見本市に出品した」とあります。

そして昭和三十五年(1960)カラー放送を二か月後に控えた七月一日、新聞広告が掲載されました。

f:id:tadakaka-munoh:20220204231125j:plain

カラーテレビ発売の新聞広告(昭和三十五年七月一日):東芝未来科学館

この21型のカラーテレビの値段は52万円。当時の大卒初任給は1.3万円、民間の給与所得者の平均「年収」が約30万円の時代です。

そして九月十日、日本でもカラー放送が始まります。