天満宮の話でずいぶんと遠い話になりましたが、今回から東京の天神社と梅のご紹介をしたいと思います。「全国天満宮梅風会」のHPによると、全国に菅原道真をお祀りしている神社は約12,000社あるそうです。会員神社の都道府県別一覧を拝見すると、近畿地方と福岡県が圧倒的に多く、北海道・東北・北陸地方は少ない印象です。(あくまでも梅風会の会員神社の範囲でですが)
東京の梅風会会員神社は32社ありますが、江戸期には「江戸二十五天神」というのもありました。ここでは「関東三大天神」として知られる、亀戸・湯島・谷保の天神さまと境内の梅林について触れていきます。
亀戸天神は、その名の通り、最寄り駅は総武線亀戸駅。といっても錦糸町駅から歩いてもそれほど変わらず、両駅から徒歩15分くらいのところです。
江戸時代初期の正保年間(1644-1647)に、太宰府天満宮の神官、管原大鳥居信祐(すがわらのおおとりいのぶすけ)は、お告げにより飛梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため、社殿建立の地を求めて諸国を巡り歩きました。遠くには日光や盛岡にまで至ったといわれますが、寛文元年(1661)に、江戸は本所亀戸村にたどり着きました。
元々、この地には天神の小さな祠があったとのことですが、信祐は自らが刻んだ天神像を祀ったのが亀戸天神の始まりとされています。その後、四代将軍徳川家綱により現在の天神の地が寄進されました。江戸幕府は、明暦の大火(明暦三年:1657年)後の江戸復興開発事業の地として本所の地を選び、その鎮守社として祀ることを命じたのです。
それにより寛文二年(1662)、太宰府天満宮に倣って、社殿や心字池などが造営されました。次回はその境内と梅をご紹介します。