湯島天神のイベントとは、「富くじ」を販売とその抽選を指します。「宝くじ公式サイト」によると、「富くじ」の元祖は、大阪府箕面市にある箕面山瀧安寺(みのおさんりゅうあんじ)の「富会」(とみえ)だそうです。天正三年(1575)から始まったとされ、当時は金銭を配るのではなく、当籤した者に「大福御守」を授与したそうです。
(さらにその原型の「箕面富」は約九百五十年前に記録があるようです)
お守りが金銭に変化していき、流行が過熱したため、第五代将軍綱吉の時代、元禄五年(1692)には禁止令が出されています。しかし、その頃から江戸幕府の財政が苦しくなり、修繕費用調達のため元禄十三年(1700)、寺社に限って富くじの販売を許可しました。これにより、谷中の感応寺(現在は天王寺)、目黒瀧泉寺(目黒不動)とともに、湯島天神は「江戸の三富」として大いににぎわいました。
江戸時代は神社とお寺は分離されておらず、湯島天神にも別当寺の喜見院があり、富くじは喜見院の興行だったともいわれています。
さて、落語「宿屋の富」は、元々上方落語にあった「高津の富」(こうづのとみ)という演目が
上方では、題名の通り、大阪中央区にある「高津宮」(こうづぐう)が舞台になっています。大阪の町人文化の中心地として賑わった地で、この演目以外にも高津宮を舞台とするものがあります。
「宿屋の富」で検索するとYouTubeで簡単に鑑賞できます。ここからはあらすじを紹介していきますので、ネタバレが嫌いな方は、ここから先は鑑賞後にご覧ください。
馬喰町にある流行らない宿屋に、ふらりと一人のお客がやってきます。宿屋の主人は愛想よく対応しますが、お客の方は、「あまり構わないでおいてくれ」「普段から身の回りの世話をする人間が多くて、粗末な扱いを受けたいと思って、荷物も持たずに泊まりに来た」と言い出します。主人が客の商売柄を尋ねると、「先祖の遺した金を、大名や商人に貸すと利息を付けて返してくるから困っている」「千両箱を漬物石替わりに使っている」などなど。人のいい主人は、客の話をすっかり金持ちだと信じこんでしまいます。主人は「一つお願いがあるのですが」と切り出し、「この宿もそれほど流行っておりませんので、内職として富くじを売っているのですが、一枚だけ売れ残っております。残り物には福があると申しまして、ぜひこの最後に一枚を買い取っていただけませんか?」
「宿屋の富」続きます。