おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

梅に惹かれて菅公に参り

関東三大天神の最後は谷保(やぼ)天満宮です。他の二つが都内二十三区の中でも東側に位置するのに対し、西側に少し離れた国立市にありますが、歴史的にはこちらが関東最古の天神さまとされています。最寄り駅は、南武線「谷保」(やほ)駅。

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南武線「谷保(やほ)」駅 後ろに咲くのは梅でなく、桜です

神社名と駅名が微妙に違いますが、その理由についてはおいおい述べていくこととして、先ほど書いたように、谷保天満宮は関東最古、創建は社伝によると延喜三年(903)、これは菅原道真が亡くなった年です。それもそのはず、昌泰の変で道真公が大宰府に左遷された際、第三子である道武公も武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷、つまりこのあたりに配流されました。道真公が薨去されたことから、道武は自ら像を刻み、廟を建てて祀ったのが谷保天満宮の起りとされています。延喜二十一年(921)に道武もこの地で世を去ったことから、この神社に合祀されています。

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谷保駅から5分ほど南に歩くと、谷保天満宮の鳥居が見えます

史記録上には、道真公に道武という男子の名前は記されていないそうで、記録から消されたのか、流されてこの地で名前を変えて移り住んだのか、あるいは身分を偽ったのか、などと気になるところです。

上の写真の鳥居をくぐり、階段を降りた先に拝殿が配置されています。通常、鳥居から先は階段を登り神様はより高い場所に鎮座する、のとは逆の珍しい配置です。

さて、このあたりの地名「谷保」(やほ)は、「湿地帯の多い台地」を意味する言葉だそうで、稲作が盛んな地域だったそうです。確かに、神社の先には「弁天池」と「厳島神社」があり、清水が湛えられていました。

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谷保天満宮の奥にある弁天池

鎌倉時代後期には既に「谷保郷」という地名があったことが、記録に残されています。歴史ある地名なので、駅の名前も同じになるはずなのですが、あえて濁点をとって名付けられた駅名。これには江戸時代の狂歌が原因の一つになっていました。

その狂歌とは

神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼの天神

次回はこの狂歌の意味をご紹介します。