おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

参りゃんせ~行きは良い酔い、帰りはWHY?3

太田道灌江戸城築城にあたり、居城のあった川越から天神さまと山王神社を勧請し、今の江戸城平川門あたりに祀りました。天神さまはその後、城の西側の「平河天満宮」に移されたのは前回ご紹介した通りです。
三芳野神社」は、川越城の本丸御殿の東隣場所にあります 訪れると、鳥居よりも先に目に入るのが、「とうりゃんせの唄発祥の地」の看板です。

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三芳野神社の看板

通りゃんせ 通りゃんせ 

ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ

ちょっと通してくだしゃんせ 御用のない者 通しゃせぬ

この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります

行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも

通りゃんせ 通りゃんせ

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わらべ唄発祥の地 の碑

歌詞から思い浮かぶイメージとしては、親子連れが、関所か門の前にいる番人に

「この細道はどこに通じているのですか?」「天神さまに通じた参道じゃ」

「ちょっと通していただけませんか」「ご用は何じゃ、御用の無い者は通せぬ」

「七つのお祝い(七五三?)にお札を納めに参るところでございます」と、

ここまではいいのですが、「行きはよいよい帰りはこわい」の部分がひっかかります。

これには、三芳野神社の位置が深くかかわっています。神社は川越城が作られるよりも前からこの位置にあったのですが、築城にあたり、場内の天神曲輪に位置することになったことから「お城の天神さま」と呼ばれるようになります。城内にあることで、一般の参拝はできなくなります。しかし、地元の人々の信仰が篤いことから、時間を区切って(通行可能時間を決めたのでしょうか)参詣することが認められたといいます。

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神社の境内に貼られていた、とおりゃんせ の意味

場内に人を入れるにあたり、行きは「何の用で城に入ろうとするのか」をチェックするだけですが、帰り(城の門を出る際)には、隠密・忍者の類が何か機密を持ち出していないか、より厳格なチェックが行われたようです。この厳しいチェックのことを「帰りはこわい」と唄ったようです。

三芳野神社の話、続きます。