太田道灌が江戸城築城にあたり、居城のあった川越から天神さまと
「三芳野神社」は、川越城の本丸御殿の東隣場所にあります 訪れると、鳥居よりも先に目に入るのが、「とうりゃんせの唄発祥の地
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ
ちょっと通してくだしゃんせ 御用のない者 通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります
行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
歌詞から思い浮かぶイメージとしては、親子連れが、関所か門の前にいる番人に
「この細道はどこに通じているのですか?」「天神さまに通じた参道じゃ」
「ちょっと通していただけませんか」「ご用は何じゃ、御用の無い者は通せぬ」
「七つのお祝い(七五三?)にお札を納めに参るところでございます」と、
ここまではいいのですが、「行きはよいよい帰りはこわい」の部分がひっかかります。
これには、三芳野神社の位置が深くかかわっています。神社は川越城が作られるよりも前からこの位置にあったのですが、築城にあたり、場内の天神曲輪に位置することになったことから「お城の天神さま」と呼ばれるようになります。城内にあることで、一般の参拝はできなくなります。しかし、地元の人々の信仰が篤いことから、時間を区切って(通行可能時間を決めたのでしょうか)参詣することが認められたといいます。
場内に人を入れるにあたり、行きは「何の用で城に入ろうとするのか」をチェックするだけですが、帰り(城の門を出る際)には、隠密・忍者の類が何か機密を持ち出していないか、より厳格なチェックが行われたようです。この厳しいチェックのことを「帰りはこわい」と唄ったようです。
三芳野神社の話、続きます。