北野神社は、丸ノ内線後楽園駅(南北線の駅もあります)から西に歩いて10分足らずのところにあります。丸ノ内線沿いに道を進むと、「牛天神下」の交差点を右に折れ、更に右の坂道を登ると右手に参道が見えてきます。
交差点名に名前を残していることからも、「北野神社」よりも「牛天神」の名前で知られています。この神社の先、北側の坂には「牛坂」の名前があり、そこの案内板によると、この坂は古くは、潮見坂・蠣殻坂・鮫干坂などとも呼ばれていたそうです。いずれも海に関係のある名前がついていますが、中世はもの坂の下のあたりまで入江で、海が広がっていたようです。
さらに案内板には、「源頼朝の時、東国経営のとき、小石川の入江に船を泊め、老松につないでつないでなぎを待つ」とあり、一方、神社の縁起にも同じように源頼朝が元暦元年(1184)、東征の際にここの入り江の松に船をつなぎ波風が静まるのを待った、という記述があります。
翌年に屋島の戦いと、それに続く壇ノ浦の戦いで、源平の戦いは終わるわけですが、その前年、鎌倉を中心とする東国においても、公文所(のちの政所)や問注所という、後の鎌倉幕府の政務と財政・訴訟を司る役所を設けたところでした。東国経営のために各地に兵を出すなかで、この辺りで一行が船を繋ぎ、休憩をしていたのかと思われます。
頼朝の夢の中に牛に乗った菅原道真公が現れて、「二つの吉事」があると告げます。更には、武運満足の後は社を営むべしと告げられます。夢から覚めたところ、その場に牛の形をした石がありました。
夢の後、平氏は西へ逃げ、嫡男である頼家が生まれたことで、頼朝はこの地に社殿を築き、道真公をお祀りしたのが、北野神社(牛天神)の始まりとされています。
次回は、この牛天神の境内など紹介していきます。