おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

立てば餅焼く 座れば牡丹餅3

東京近辺の牡丹の名所として、最初に上野東照宮のぼたん園をご紹介します。この項のこれまでの牡丹の写真はここの写真を載せています。

さて、上野東照宮ですが、日光・久能山と並んで三大東照宮とも、同じく都内にある司馬東照宮を加えて、四大東照宮とも呼ばれます。

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東照宮ぼたん園入口 

東照宮、というくらいですから、祀られているのは徳川家康東照大権現)なのは勿論ですが、徳川吉宗慶喜の八代・十五代将軍も併せて祀られているそうです。中興の役割を担った吉宗はわからなくもないですが、幕を引いた慶喜まで、というのは意外な感じもします。

元々は、津藩藩主の藤堂高虎の上野にあった敷地内に、寛永四年(1627)に創建されました。それを三代将軍家光が慶安四年(1651)に社殿を改築し、幕末の戦乱や、関東大震災、太平洋戦争からも消失を免れ、現在に至っています。

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上野東照宮社殿

明治の神仏分離令までは、日光東照宮輪王寺の関係と同様、上野寛永寺日光東照宮も併存していました。上野動物園内にある五重塔は、元々東照宮に所属していたのですが、明治になって寛永寺の所属となって「寛永寺五重塔」と呼ばれるようになりました。東照宮からすぐ横に塔が眺められるのですが、動物園と東照宮をの間の柵が両者の間を隔てています。

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ぼたん園からもすぐそばに五重塔が眺められ、撮影ポイントとして知られます

上野ぼたん園自体の歴史はそれほど古いものではありません。昭和五十五年(1980)といいますから、まだ40年ちょっと、というところです。日中友好を記念して開園されたものです。中華人民共和国とは、昭和四十七年(1972)に共同声明が出され、両国の国交が正常化(それまで日本は中華人民共和国を中国の正式な政府として認めていませんでした)し、上野動物園にはパンダが送られました。

牡丹は、中国においては「花の王」として尊ばれていましたから、友好を記念したぼたん園の開園は、上野と中国との縁の深さ(パンダつながりを含め)を感じます。

上野ぼたん園の話が続きます。