おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

立てば餅焼く 座れば牡丹餅9

階段を登り、と書きましたが、そこは二十三区内のこと、階段は緩やかなもので、それほど長いものではないので、数分あれば上までたどり着けます。

坂上から見下ろす牡丹

中国では「花王」と称され、日本においても美人の容姿をあらわすことわざに、「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」があります。先に歩き姿の「百合」から説明しますが、百合の花は少しうなだれたように花を少し下に向け、少しの風にも花を揺らす様を、優雅なものとして讃えています。颯爽と歩く姿、とはちょっと異なるところが現代とは異なる感じですね。

芍薬」は茎の先端に美しい花を咲かせるところから、すらっとした美人の立ち姿をイメージしています。芍薬はボタン科の多年草で、花もよく似ています。(これが「芍薬」とはっきりわかる写真が手元になく掲載できません><)

明らかに異なる点は、牡丹が小低木であるのに対し、芍薬多年草、すなわち「木」と「草」という違いがあります。冬も枝が残る牡丹に対し、芍薬は冬は地上部が枯れ、地中の根や芽で冬越しした後、また地上に芽・葉を出し成長します。

牡丹は、横向きの枝に花をつけることから、優雅に座ってこちらを向いた姿をあらわしたものでしょうか。

座れば「牡丹」

「美しい立ち振る舞いは芍薬、優雅に座っている姿は牡丹のよう、歩く姿は風に揺れる百合のよう」と、言葉そのままの意味ですね。芍薬も百合も香りの強い花で、牡丹はそれほどではないですが、「牡丹香」というお香もあります。美人の残り香もイメージできますね。

さて、前に、江戸時代に開発された品種は現在残るものは少なく、明治時代に開発された品種だという話をしました。江戸時代に流行したとはいえ、牡丹の花はまさに「高嶺の花」でした。当時は牡丹は「種」から、あるいは牡丹を台木に接ぎ木をする方法で殖やしていました。この方法では、台木の不足や接合不良で大量の需要に対応できませんでした。画期的な方法が生み出されたのは明治三十年代のこと。

芍薬を台木として牡丹を接ぎ木することに成功したのです。先ほど説明したように、牡丹と芍薬は同じボタン科であり、それを応用したのでした。この方法で生み出された品種は大量に生産することが可能で、結果としてそれらの品種が現在に残っている、ということです。

鑑賞する際に、そうした品種改良の歴史も思うと、また花が違って見えるかもしれません。牡丹の話は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。