元々中国には、前述のように菖蒲を刻んで酒に入れて飲む、という風習がありました。日本においては戦国時代初期に、宮中で菖蒲湯を使ったという記述があるのですが、菖蒲を束ねて作った枕を5月4日に用い、翌日5日に枕をほぐして湯に浮かべたようです。
庶民が菖蒲湯を使うようになったのは江戸時代から、といいますから、武者人形や鯉のぼりが広まっていくのとそれほど時代は変わらないようです。もっとも江戸時代より前は銭湯自体が普及していないので、菖蒲湯の使いようがなかったわけですが。
宝井其角(たからい きかく)に、「銭湯を沼になしたる菖蒲(あやめ)かな」という俳句がありますが、其角は17世紀終り頃から18世紀初めに活躍した俳人ですから、その時期にはすでのこの風習が一般に広まっていたことがわかります。
沼に見まがうほどたくさんの菖蒲を浮かべた浴槽、菖蒲の香りでむせ返るようなイメージですね。銭湯に入る際、入浴料(湯銭)を払いますが、菖蒲湯に入る際は祝儀としておほねりを加えて支払ったようです。
また、端午の節句に「柏餅」を食する風習も、18世紀後半あたりから江戸で始まったようです。柏(かしわ)の語源は、食べ物を盛り付けたり、あるいは蒸したりするときに食べ物を包むのに使われた葉のことを意味する炊葉(かしきは)からきています。
家にあらば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
を思い浮かべますが、古来から食器の代わりに大きめの葉を使っており、それを炊葉(かしきは)として総称していたわけですね。柏は葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、「子孫繁栄(家系が途切れない)」の縁起を担いだものでしょう。
また江戸で生まれたこの風習が全国に広まったのは、参勤交代によるものだそうです。跡取り(子孫)がいないと家が取り潰される時代ですから、子孫繁栄への祈りは切実なものがあったことでしょう。
すっかり節句も終わってからの項となりましたが、端午の節句については以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。