おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

Smoking on the water2

この稿で紹介する喫煙具その他の写真は、墨田区の「塩とたばこの博物館」で撮影したものです。この博物館、昔は渋谷にありましたが、老朽化と手狭になった(収集物の増加が原因のようです)ことにより、平成二十七年(2015)から現在の場所で開館されています。たばこに関する(塩もですが)歴史を学ぶことができます。

さて、現在の喫煙は紙巻たばこが主流で、電子たばこもその形を踏襲していますが、江戸時代はというと、前回ご紹介した通り、刻み煙草を煙管(キセル)に詰めて火を点けて一服します。このたばこを刻む、という行為ですが、当初は手に入れた葉たばこを自分で刻むか、露店で刻みたばこを購入したりしていました。

それが、17世紀半ばの四代将軍家綱の時代になると、「たばこ屋」が出現します。つまり、葉たばこを刻んで売る、製造と販売を行う専門店が現われ、増加していきました。

刻みたばこ屋 家族単位で営まれることが多かったようです

「かかぁ巻き ととぅ切り」といって、おかみさん(かか)が葉たばこの下準備をし、主人(=とと)が葉たばこを刻む形式の、「家内制手工業」で営まれました。

また、この「刻む」という行為、当初は粗く刻んだものが売られていましたが、刻みが細くなるとたばこの味がまろやかに(マイルドに)なることから、江戸時代の半ばを過ぎると、「こすり」という呼び方で細刻みが登場します。

上の写真 刻む主人の拡大

細刻みが発達したのは、喫煙の風習のある国々の中でも日本だけのことで、このあたり、日本料理のような繊細さをたばこにも求めたからなのでしょうか。

この細刻みは「たばこ包丁」という専用の刃物の進化をもたらします。元々葉たばことともに輸入された刃物を使用していましたが、そこに日本刀の技術が加わり、特に堺の包丁は切れ味・耐久性などに優れていたことから、ついには幕府の専売品にまでになりました。

とはいえ、職人が包丁で刻めるたばこの量は知れたもの、全国で増大する刻みたばこの需要には追いつかなくなってきました、そこで生産効率を上げるため、器械化(機械化ではありません)が発達していきます。この話は次回に。