おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

煙に巻く、紙で巻く2

紙で巻く方の機械が発達しても、中に巻く刻みタバコがないと紙巻きタバコは大量製造できません。江戸時代の「器械」では生産効率が悪く、追いつきません。

以前の回で紹介した、「かんな刻み機」、「ぜんまい刻み機」の両者ですが、当初効率としては前者が優れていたことから普及しましたが、次第に後者の改善バージョンが業界を席巻していきます。

一つには品質の良さ、ということが大きな要因ですが、もう一方で「ぜんまい」動力を他の動力に替えることにとより生産効率を大きく向上させることができたからです。

明治時代には、水車(水力)、蒸気機関等の動力により、品質・生産効率双方の欠点がなくなり、全国に普及してきます。

酒井式刻み機 足踏み式ミシンのようなペダルがついています

明治十九年(1886)、江戸時代から東京で鍛冶職を営んでいた酒井家の第十八代、酒井太郎吉は、芝の金杉川口町に「酒井工場」を創設し、「酒井細刻機械」の販売製造を始めます。当初は上記のような足踏み式でしたが、動力化することで、明治四十年(1907)には全国業者品評会にて全国第一位となりました。この品評会の主催者は「専売局」。この三年前にタバコは製造が専売化されたため、そのための機械を統一化するためにこの品評会を開いたものと思われます。これにより、酒井工場は専売局(のちに専売公社)に「酒井細刻機械」を一手納入することとなりました。昭和30年代半ばまで、「細刻みたばこ」はこの機械によって作られたのでした。

というのは後の話で、専売化されるまでの間、日本には「タバコ」の製造業者、いわゆる「タバコ商」がそれぞれ特色あるタバコを製造していました。明治三十年頃にはその数、5,000人に上ったともいわれています。

機械化により、これまでの問屋制手工業から工場制手工業へ、そして工場制機械工業へと移行していき、近代的な会社形態の「タバコ商」が業界を席巻するようになります。

そうすると、品質は同じくらいでも、商品を売るために広告・宣伝に力を入れることになります。ようやく次回は明治のタバコ宣伝合戦に話を進めていきます。