おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

煙草(なつくさ)や つわものどもが煙のあと5

かつ吉水道橋店は地下一階にあります。階段を降りると重々しい木の引戸の入口があり、なんだか違う時代へのドアかと思わせます。

入口を入るといきなり岩のオブジェ?が

扉の先には石庭をイメージしたようなオブジェと、豚の像が迎えてくれます。この豚は後に説明しますが、パークシャー種の豚の銅像だそうです。

豚のお出迎え

さらに真正面に目を向けると、「天狗煙草」の看板が掲げられています。煙草の銘柄の中に「日英同盟天狗」とあります。日英同盟締結は明治三十五年(1902)ですので、この時期の看板と思われます。専売化(明治三十七年)の二年前くらいでしょうか。

扉の先、真正面の天狗煙草看板 

右の「驚く勿れ」の税金額が三百万円に、慈善職工の数は二十万人に増えています。店として岩谷松平との関係をアピールするつもりはないのか、解説が書かれているわけでもないことから、お客さんもこの看板も古色趣味の内装の一部としか捉えていないように思います。

かつ吉のHPには、「吉田吉之助文庫」というコーナーがあって、先代の主人が遺した文章などを拝見することができます。「包丁余語」として発行された冊子には食だけでなく日本文化に関する随筆が掲載されているのですが、その第一号に「豚の歴史」の題で随筆が綴られています。

それによると、「明治になってから・・英国のバークシャー種(黒)が輸入されるようになった。・・・寒気に耐え、繁殖力旺盛、肉質が優れているところから、明治時代の豚の主座を占めることになった」とあります。先の岩谷松平の渋谷の邸宅にも「「常時二百頭くらいのヨークシャーとバークシャーがいた。」とありましたから、吉田吉之助さんも子供の頃目にしていたかも知れません。

また、「近頃の流行語をもって大げさに云うなれば、史上最高の豚肉はバークシャーである、ということになる。かつ吉では、つとめて、この肉を使うようにしている。バークシャーの名誉をこの世に永く伝えるために、水道橋かつ吉に、等身大の銅像を安置している」とあって、入口の豚の像がそれにあたると思われます。

かつ吉の話、続きます。