おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ハス・ノート

本家琵琶湖の竹生島は、湖の北部に浮かぶ島で、日本三大弁天の一つとされています。不忍池の弁天堂がある中の島も、当初は舟で渡るようになっていましたが、寛文十二年(1672)に石橋が架けられ、歩いて渡ることができるようになりました。現在では反対側に左右に分かれた橋(ボート乗り場が分岐点です)があり、島を横断して池を半周できるようになっています。ハスを見るために池を巡る場合は、左に進むルートを使うと便利です。

弁天堂裏側で咲いていたハス 近づきやすいですが池に落ちないよう注意!

さて、不忍池がハスの名所として知られたのは、前々回ご紹介したように江戸時代初期の頃です。誰がこの場所にハスを植え育成したのかについて、池の畔の案内板に解説がありました。

不忍池のハスのルーツをたどる

これによると大賀博士は、寛永寺の開山である天海僧正か、天海の構想に乗って弁天島を造営した水谷伊勢守(水谷勝隆 常陸国下館藩⇒備中国成羽藩⇒備中国松山藩)と推論しています。

さて、大賀一郎博士は、植物学者として蓮の研究の第一人者であり、古代ハス「大賀ハス」の発見者として知られます。博士は昭和十年(1935)にこ不忍池でハスの花を愛でる「観蓮会」(かんれんえ)を開催し、この会は戦争中を除き博士がなくなるまで続きました。

この時の「観蓮会」には、「日本植物学の父」といわれる牧野富太郎(来年2023年の朝ドラ「らんまん」の主人公のモデル)も参加しています。この会が開かれたきっかけというのが、 「ハスの花が咲く時、音がするかしないかを確かめる」ためでした。

元々明治三十一年(1898)に植物学者の三宅驥一(みやけ きいち)が、小石川植物園でハスの開花を観察して音がしないと発表しましたが、当時世間にはほとんど受け入れられませんでした。

大賀博士が文献を遡ると、江戸時代中期の俳諧に「暁に音して匂うはちすかな」(潮十子)などが音がするとされた最も古いもので、それ以前には開花の音について触れた文献はありませんでした。博士も「無音説」を主張しています。

とはいえ、明治時代にも正岡子規の「蓮開く 音聞く人か 朝まだき」、石川啄木の「静けき朝に音たてて白き蓮の花咲きぬ」など、開花時には音がする、という詩歌があり、論争の決着のためにも実証が必要でした。

世間の興味が「音がするのかしないのか」に集まる中、昭和十年(1935)七月二十四日明方に「観蓮会」が始まりました。さて、音はしたのか、しなかったのかは次回で。