おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

根ほりハスほり

本題に入る前に、大賀博士による不忍池での観蓮会は、太平洋戦争で一度中断しています。これは、食糧不足を補うため、この一帯も蓮を取り去って水田としたことによります。堀切菖蒲園周辺の菖蒲園も水田になった話を紹介しましたが、そこかしこでそういったことが行われていたわけですね。

このままではハスを見ることはできなくなるところでしたが、不忍池のハスを復活させるのにも大賀博士は大きな尽力をされています。

これらのハスが見られるのも大賀博士のおかげです

さて、戦争期の日本では食糧以外にも不足しているものがありました。燃料です。戦場に燃料を供給するため、国内では石油に代わる燃料が求められました。その一つが草炭(そうたん、泥炭とも)です。イギリスでは「ピート」と呼ばれ、ウィスキーを作る際に大麦発芽後に乾燥させる燃料に使います。ウィスキー独特の風味(ピート香)はこれに由来します。
余談はさておき、太平洋戦争後期、東京都(昭和十八年:1943年に東京市東京府が廃止され設置)は千葉の花見川下流域の湿地帯に埋蔵されている草炭に目を付けました。ちょうどその地域に東京大学の検見川厚生農場があり、農場の一部を借り受けて草炭を採掘していました。戦後も引き続き燃料不足で採炭が続けられていましたが、昭和二十二年(1947)、作業員がたまたま1隻の丸木舟と6本の櫂を泥の中から掘り出しました。

それをきっかけに二年間にわたる発掘調査が行われましたが、その調査でさらに2隻の丸木舟とハスの果托などが発掘され、縄文時代の遺跡であることが判明しました。

「花托」は蜂の巣やシャワーヘッドのように見える部分です(復習)

縄文時代の遺跡からハスの花托があったことを知った大賀博士は、花托が見つかったのであれば、その近くにハスの種子があってもおかしくないと考えます。

昭和二十六年(1951)三月、地元の小・中学生や一般の市民などボランティアの協力を得て、この遺跡の発掘調査を始めます。博士は中国で発掘された約1000年前のハスの実の発芽試験に成功(育成・開花までには至らず)したり、前年の昭和二十五年(1950)には同じ千葉県の遺跡から出土した1200年前の須恵器の中のハスの実の発芽にも成功(これも育成・開花までには至らず)しています。縄文時代といえばそれ以上の古代であり、博士の心は躍ったのではないでしょうか。

発掘の話、続きます。