おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

砲術は爆発だ~ 江川太郎左衛門

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。

六月に伊豆の三島・韮山方面に旅行しました。「鎌倉殿の十三人」の北条氏と、幕末に活躍した江川太郎左衛門英龍ゆかりの地をいっぺんに巡ろうとしたのですが、ちょっと強行軍過ぎて北条氏関係の史跡めぐりは中途半端になってしまいました・・

6月中旬 三島大社の紫陽花が綺麗でした

鎌倉も今年は混雑しそうなので、頼朝・北条氏あたりの話を書くのは、(としたら)ずいぶん先のことになりそうです。

さて、題名の通りこの項では江川太郎左衛門英龍について取り上げますが、歴史上では「韮山反射炉を作り、大砲を鋳造した」「品川に台場を築いた」ことで知られます。今回韮山の地を訪れて思ったのが、「地元の人の江川愛が大変強い」ということです。

 

幕末の海防上の功績でなく、代官としてこの地の人々のために尽くしたことが、「江川愛」に現れているように思いました。

江川太郎左衛門英龍像と韮山反射炉

さて、「太郎左衛門」は江川家代々の当主の通称です。英龍は第36代当主にあたります。徳川幕府でも15代なのに、この数字は何?という感じですが、それもそのはず、江川家は中世から続く名家です。10世紀末~11世紀前半に大和国奈良県国司などを歴任した源頼親(みなもとのよりちか)を始祖とし、平安末期に伊豆に移住したころは宇野氏を名乗っていたそうです。

ここで源頼朝や北条氏とも縁があり、頼朝の挙兵を助けた功によりこのあたりにあった江川荘を安堵されました。室町時代に領地の名前をとって江川家を名乗るようになりました。

源頼朝流罪の地、蛭ヶ島もこの近くにありました

戦国時代には後北条氏に仕えていましたが、秀吉の小田原征伐の際に後北条氏を見限って徳川家康に従います。この時の当主が第28代当主で、そこから代官に任じられ、徳川幕府の時代に至ります。代官といっても伊豆国韮山周辺だけではありません。代官として治めていた地域は、伊豆の他、相模・駿河・甲斐・武藏に点在する天領(幕府直轄地)に亘っていて、その領地の石高は5万4千石に上りました。(後26万石にまで拡大しています)

すっかり江川家の説明だけで終わってしまいましたが、次回以降英龍についてご紹介していきます。