佐久間象山は元々儒学者で、神田お玉ヶ池にて「象山書屋」という私塾を開い
松代藩では名の知れた人材であった彼は自尊心も強く、独り短期
その他尚歯会のメンバーでもあった幕臣川路聖謨や、後に明治維新の三傑の一人となる桂小五郎(後の木戸孝允)なども門弟に名を連ねています。韮山塾の後進、江戸の芝新銭座(しばしんせんざ)に置かれた大小砲修練場の時代も含めると、門弟は約四千人を数えます。
韮山塾とか江川塾と呼んでいますが、当時正式な名称があったわけではなく、門弟たちがそのように呼び習わしていた名前が通称となって残っているようです。
韮山塾においては、砲術の教授は当然のことながら、西洋の砲術書を含む兵学書の翻訳と研究や、大砲の試射も行っていました。
江川邸の土間の部分には、ホーウィッスル砲および砲弾の模型と、当時の砲身に装備された移動用の砲車が展示されています。
この時代の大砲には大別して3つの種類がありました。
①臼砲(きゅうほう)前回の写真でご紹介した、砲身の短い大砲。モルチール砲とも呼ばれ、直接に標的に命中させるというよりは、高い角度で爆裂弾を撃ち出すことで、城壁を越えて敵陣を攻撃するもの。
②カノン砲 砲身の長い大砲で、鉄球の実弾(破裂しません)や散弾を入れたブリキの缶(ブリキトース)を撃ち出す大砲。浅い仰角(0〜15度くらい)で発射し射程距離が長い。中には爆裂弾を発射する、比較的砲身の短い「ボムカノン」という派生種もあります。
③ホーウィッスル砲 カノン砲よりも砲身が短く、仰角は15〜45度くらいで炸裂弾を撃ち出し、敵陣の上空で爆発させて攻撃するもの。
韮山塾ではそれぞれの発射訓練だけでなく、爆裂弾の開発・研究も行っていました。
韮山塾の話が続きます。