この下り、話の内容にまつわる写真がなく、無理やりこじつけた写真が混じり ますがご容赦ください。
安政東海地震後の津波で、ディアナ号は前回ご紹介の損傷の他、大 砲の下じきとなった水兵1名が死亡、2名が重傷を負った、と記録 されています。
安政東海地震後の津波で、ディアナ号は前回ご紹介の損傷の他、大
現在の軍艦のイメージだと、砲塔に固定されている艦載砲ですが、 当時は甲板上に置かれて動かないようにロープで固定している状態 です。「大砲の下じきになった」とは、艦が津波によって旋回した 際、固定ロープが外れたか切れたかで甲板上を暴れるように動いて 水兵を下じきにしたものでしょう。
致命的な損傷を負ったディアナ号の乗員約500名は、下田の町民の 助けにより救助され上陸することができました。一方でディアナ 号の船員たちも、津波に巻き込まれた下田の町民を救助したりと、国境 を超えた助け合いがありました。
このままでは帰国もままならないプチャーチンは、幕府に対してディアナ号の修 理を願い出ます。幕府もこの状態を放っておくことは国際上の信義にもかかわることなので、帰国の航海ができるように船を修理することに同意します。が、問題はどこの港で修理を行うか、でした。ディアナ号のいる下田港は地震で壊滅的な被害を受けており、この場所で修理を行うこ とはできません。ロシア側も下田港では外洋から艦影が丸見えであり、英仏の軍艦に見つかる可能性のあるこの場所は避けたいと考えていました。
このままでは帰国もままならないプチャーチンは、幕府に対してディアナ号の修
ロシア側は修理の候補地として、掛塚、浜 松、浦賀などの案を提示しますが、前の二つは東海道の治安上の問題から認めるわけにいかず、浦賀は江戸に近いということで、徳川斉昭などの開国反対派が頭を縦に振りません。
ディアナ号のその後が続きます。