おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

涙、武士だよ人生は8

英龍はその申出を受けました。宮島村から戸田村までの海沿いの漁師たちに、漁船で「ディアナ号」の曳航に協力するようお触れを出し、12月2日早朝、百艘以上の漁船・荷船が宮島村沖に集まりました。「ディアナ号」に数本の元綱をとりつけ、そこから綱を枝分かれさせて漁船・荷船に結び付け、午前8時ごろ曳航を開始しています。

最初はびくともしない「ディアナ号」でしたが、一度動くと勢いがついたのか、すこしずつ進み始め、東へ向かっていきます。

何もなければこのまま曳航作業は成功したのでしょうが、大型の日本船に乗って曳航作業に付き添っていたプチャーチンは、11時過ぎに、漁船が結ばれていた綱を切って、海岸方面に逃げていくのを目撃します。漁師たちは沖合から黒雲が近づいてくるのを見て、このままでは危険だと判断したのです。

荒天の中、曳航作業は失敗に終わります(写真は茨城県大洗海岸のものです)

予測した通り、豪雨と強風が巻き起こり、曳航に参加していた船たちもかろうじて近くの湾内に逃げ込みました。「ディアナ号」は座礁した元の位置近くに押し流された後、転覆しそのまま沈没してしまいました。

自分たちの船を失ったプチャーチンたちに対し、英龍は沈没船を海底より引き上げ、戸田村まで修理してはどうか、と提案しました。しかし、プチャーチンは、「ディアナ号はもう修理が不可能なため、放棄する」と答え、「その代わりに」と、幕府を驚かせる申し出を行います。

戸田村で新たに西洋船を建造し、それで一部の乗組員がロシアに航海し、帰国用の迎船を呼びに行く」「ついては建造用の資材や道具等を提供してほしい」というのです。

評議の結果、それを認めざるを得ないだろう、という意見で一致し、日本の一漁村であった戸田村で西洋船を建造する、という国境を超えた一大プロジェクトがもち上がったのでした。